櫻井大文
 

一、設立の経緯
二、地域情報
三、事前視察・ペット事情
四、施設の内容
五、火葬施設について
六、宣伝方法と利用状況
七、サービス内容
八、ペット・ロス
九、ペット供養の意義
十、まとめ

  

  一、設立の経緯
 
 筆者の住職地におけるペット供養は、平成八年七月に開始された。その十年位前から開設の依頼はあった。理由は、我が家にもペットがいる関係でペットを飼っている檀家と接点があったこと。その数人はすでに既存の施設利用者であった。その人たちから、現在の利用施設が遠方であり、お参りに不便、同じ敷地内に死んだ後でも一緒にいたい、等々の理由で、施設をつくって欲しいとの申し出を受けていた。これが開設の動機の第一であった。
 第二として、家族の一員として暮らしていたペットとの別れは、飼い主にとっても大変なできごとであり、その供養をきちんとした形で勤め、安心していただくことである。
加えて、寺檀関係を越えた地域との接点をペット供養から広げたいということもあった。
 第三として、ペットを通しての宗教教育、生命教育も目指した。

  

  二、地域事情
 柏市は東京への通勤圏内に当たる。昭和四十年代から急速に住宅造成が進められ、現在人口38万人である。
 当山の周辺も住宅公団や大手企業の住宅がある。ペットを飼う家も増え、朝夕にペットを散歩させている風景が日常的だ。近在には三ヵ所のペット供養施設が開設されている。寺院付属が一ヶ所、民間が二ヶ所である。

  

  三、事前視察・ペット事情
それらを見学させてもらった。いずれも満杯に近い利用状況であった。ただし、近いところでも車で二十分以上はかかる。当山で新規開設しても利用者は十分見込まれると判断できた。
 東京の寺院でペット合同供養際を催しているところがあり、その折りの説教を依頼された。供養の実際を伺う良い機会と思い引き受けた。寺の説明では人間の法要よりお参りが多いとのこと。確かに多かった。そしてその熱心さに圧倒されるものを感じた。

  

  四、施設の内容
 以上の経緯を経て、建設に入る。ペット霊堂は本堂裏手に増築した。建坪は六十坪程度、予算軽減のため軽量鉄骨仕上げとした。
 施設の内容は以下のようである。
「納骨堂」二十坪 / 棚数 約千
(現時点では二階のみを使用して一階は客殿として使用。将来利用客が増加してから転用の予定)
「応接間・会議室」八坪
「ホール兼礼拝堂」十坪(本堂 地蔵菩薩)
「事務室」「水場」
 外に「合同埋葬塔」「塔婆たて」を設けた。
 予算の都合で、高級感は無いが清潔で、親しみやすく、かつ「寺」のイメージを損なわないものに仕上がったと思う。

  

  五、火葬施設について
 聞くところでは、従来ペットが死んで保健所に依頼すると、生ゴミ扱いで処理されるという。その背景もあるのであろう、近在の既存ペット霊園はそのほとんどが火葬設備を併設していた。ただし、焼却炉に手を加えた程度で質感に欠ける印象をもった。
  今年になって、近くの葬儀社が会館の一部に増築し開設した。飼い主の心情を考慮し、人間用並に直に焼却炉を見せず、ホール・待合室なども立派である。ペットの最期を看とる利用者にある程度の納得を与えるであろう。

  

  六、宣伝方法と利用状況
 注意してみると結構ペット供養関係の看板・広告が目につく。見学に行ったペット霊園ではそれぞれパンフレットを作成していた。いずれも見積もってみると高額なものである。
 当山では費用削減のため宣伝方法は、
・案内掲示板
・NTTタウンページ広告掲載
・NTTのFAX情報サービス
・インターネットへの掲載
とした。
現時点で、納骨棚の利用者数と合同埋葬の利用者がほぼ同数。
 主な利用者はタウンページやインターネットを通じてであるが、口コミの輪が広がっていることが感じられる。
 利用者の反応は、「寺院の安心感」というものが多い。

  

  七、サービス内容
 引き取り、火葬、供養、納骨(棚・合同埋葬)がその内容となる。自宅までの取引、火葬等の実務は、親しくしている葬儀社に委託している。
 当方は先方の意向に叶う情報を最大限提供する。情報提供で終わる場合もあるし、葬儀・埋葬まで勤めることもある。いずれも、ペットの死に悲しむ人である。

  

  八、ペット・ロス
 家族の一員として愛し、ペットとの絆が深ければ深いほど、その別れの体験、ペット・ロスは飼い主にとって大きなものになる。時には後悔の念や自責感、怒りなどを伴うという。これらの喪失感で精神的なダメージを持つ人もいる。アメリカを始め日本でもそのような人への支援システムがあると聞く。
 「コンパニオン・アニマル」は言葉を持たない分、思惑抜きで、無条件に可愛がることができる。なにかしらの感情交流があり、時には家族に言えない本音を漏らしたりする。言葉を介さない分より深いコミュニケーションがそこには確かにある。
 ペットの葬式を何度も勤めたが、家族全員が一様に深く悲しむことに驚きの念を持たされる。表現は変だが、素直にかつ純粋に悲嘆しているケースが多い。人間の葬儀にある、社会的認知としての通過儀礼の要素がないせいだろうか。

  

  九、ペット供養の意義
 このような利用者様の真情に触れ、改めてペット供養の意味合いを考えてみた。
 
(一)生老病死の現実に触れ、死を学ぶ
 ペットたちは人間のように痛み、苦しみを訴えない。粛然として死までの時を過ごし、見事な往生を遂げる。そのぶん飼い主にとっては不憫であり、辛い。しかし、子どもから大人まで家族中で生者必滅、会者定離の現実を目の当たりにする。死を学ぶ貴重な体験ができている。宗教を受けとめるベースとしての「哀感」が形成されているとも言えよう。中には、ペットの死を二度と見たくない。もう飼うのはいやだと、もらす人もいる。愛玩の対象としてはそうだろうが、コンパニオン・アニマルとして関係が成立していれば、人間のそれと同質の体験となり、さまざまな考えがわいて来るであろう。
 このようなとき、「生を明らめ、死を明らむるは仏家の一大事」という仏教の根本を見つめる布教的意味があると考える。それは、ひるがえって飼い主自体が、人生の真実に出会う機会ともなろう。
 
(二)供養することの学習
 前途したが、柏市は新興住宅地で、大半の人は新所帯である。当然仏壇、墓のない家族が多い。供養事に縁が薄い。子どもにとっては宗教的情操が欠けた環境で育っている状況である。その中で、ペットの死を契機に寺との縁ができ、手を合わせ、お線香をあげたりすることは重要な宗教情操涵養となるであろう。同様に、親も家族の死を迎えて初めて供養事に入るよりも疑似体験として意味を持つことになる。併せて、家族の心が一つになり、結びつきを深める働きも有する。

  

  十、まとめ
 当山では、平成10年の春彼岸より合同供養法会を開始した。利用者の出席率は87%と高かった。心のこもったよい法要であった。前述のような世界を法話でお伝えしたが、熱心に聞いていただいた。今後、春秋の両彼岸の定期法要として継続していく予定である。
 ペット供養を人間に準じた形で行うことは、現代のペット事情を鑑み、これからの寺院布教として意義ある活動と思う。
       

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